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北海商科大学論集(ISSN 2186-330X) >
第07巻 第1号 >
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http://hokuga.hgu.jp/dspace/handle/123456789/3435
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タイトル: | Cultural Differences in the Use of Hedges in Japanese and Korean― Case Study of “omou” and “sayngkakhata” ― |
その他のタイトル: | 日本語と韓国語のヘッジ使用の文化的な相違―「思う」と「생각하다」を事例として― |
著者: | Bong, Lee 李, 鳳 |
キーワード: | hedge Japanese Korean omou sayngkakhata ヘッジ 日本語 韓国語 思う 생각하다 |
発行日: | Feb-2018 |
出版者: | 北海商科大学学術研究会 |
抄録: | A hedge is generally known as an expression that softens affirmations or direct expressions, is a universal concept in any language, and exists in both Japanese and Korean. However, when using languages, the amount of appropriate hedge is known to vary from culture to culture. In this research, we use the politeness of Brown & Leivinson (1978,1987) as a theoretical framework for "omou" of Japanese acting as a hedge and the corresponding Korean "sayngkakhata" Consideration was made.Analysis result, Japanese "omou" was found to be used as a hedge in many cases compared to "sayngkakhata" in Korean. ヘッジは、一般的に断言や直接的な表現を和らげる表現として知られており、どの言語にもある普遍的な概念であり、日本語でも韓国語でも存在する。ところが、言語使用の際に、適切なヘッジの量は、文化によって違うことが知られている。本研究では、ヘッジとして機能している日本語の「思う」とそれに対応する韓国語の「생각하다(sayngkakhata)」を事例とし、理論的な枠組みとしてBrown&Leivinson(1978,1987)のポライトネスを用いて考察を行った。分析結果、日本語では、韓国語より多くヘッジが使われ、「思う」は韓国語の「생각하다(sayngkakhata)」に比べて、多くの場合にヘッジとして使われることが解った。 |
URI: | http://hokuga.hgu.jp/dspace/handle/123456789/3435 |
ISSN: | 21863296 |
出現コレクション: | 第07巻 第1号
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